県民共済が、お客様とともに
永遠であり続けるために
埼玉県民共済生活協同組合
創業者 正木萬平
小さな掛金、大きな保障、そしてお役に立てる共済
万一の時の生活を考えると、家族のために保険(保障)は欠かせないが、家計に余裕がなく不安な毎日を過ごしているたくさんの家庭のあることを知り、保険を必要とするすべての人達が平等に加入することができる、掛金の安い「生命共済」の開発を社会が望んでいると確信して、昭和48年に県内の多くの企業に働く仲間の協力を得て、設立されました。
そして、掛金が安く保障の大きい「生命共済」を開発するために衆知を集め、更には創業者の独創的なアイディアと苦心の末、画期的な生命共済制度の開発に成功しました。そして、こうした制度を待っていた多くの消費者も「これならば、保険を必要とする多くの家庭に加入してもらえ、毎日の生活の不安を解消し、万一の時の生活を守ることが出来る。」と絶賛しました。
勧誘員も営業所も持たない非人的販売
生まれたばかりの県民共済には、加入者を募集するための事業資金がないので、止むなく保険の業界では不可能とされていた、勧誘なしの加入者募集に踏み切り、埼玉りそな銀行(当時‥埼玉銀行)に、銀行の窓口経由で加入の申込書(兼口座振替依頼書)の受理をお願いすることにしました。ただ、こうした非人的販売を確立するに至る過程では、文書では書くことが出来ないような苦闘があったことも事実です。
しかし「至誠天に通ず」と言いますが、掛金が安く保障の大きい生命共済は、勧誘なしで毎日多くの方が金融機関の窓口で自発的に加入の手続きをされ、創業以来、なんと283万人(件)の方々にご加入をいただき、名実共に730万県民相互の助け合い制度に成長し、創業時に掲げた「小さな掛金、大きな保障、県民のみなさまのお役に立てる共済」に一歩も二歩も近付けることができました。 加入者のみなさまのご協力に心から感謝いたします。
良いものにセールスマンはいらない
創業者の正木萬平は、「良いものは、それ自体が最高のセールスマンだから、良い商品を作れば、黙っていても売れるはずである。だから、勧誘をしたり必要以上の宣伝をする必要は無い。」との持論から、その後も営業所を設けたり、勧誘員を採用することはせず今日に至っています。
現在、県民共済では、「新型・県民共済」「医療・生命共済」「生命共済」のほか「生命共済プラス型」「こども共済」「熟年型共済」「新型火災共済」「傷害型共済」を取扱っておりますが、いずれの共済もご好評をいただいており、毎月1万人(件)近い方が、金融機関の窓口経由や郵送申込みで自発的にご加入の手続きをされております。
掛金の100%還元
加入者の方から払込みを受ける共済の掛金は、共済事故の発生に関してお支払いする“共済金”と、期末の剰余金を加入者に還元する“割戻金”で100%お戻しすることができる「夢の共済」をめざして県民共済は昭和48年に設立されました。
このことが実現されれば、県民共済の加入者は全体としては失うものは一切なく、掛金は共済金と割戻金で100%戻ることになります。そうなれば、正に「夢の共済であり、理想の共済制度。」と言うことができます。
ではどうすれば、この「夢の共済」であり「理想の共済」が実現できるかと言うことになりますが、それには共済事業のコストに当たる人件費や物件費を生産性を高めて極限まで小さくして、事業費(コスト)の全てを自己資産の運用収入で賄えるようにすることが必要と考えます。
現在、県民共済の「新型・県民共済」「医療・生命共済」「生命共済」の還元率は、共済金と割戻金を併せて97%を超えるところまで来ました。100%還元の夢の共済の実現まであと一歩のところまで来ています。
共済金の即日払い
農耕民族の時代の助け合いは「遠くの親戚より近くの他人」という言葉に象徴されるように、生活の多くが“地縁”によって支えられていましたが、工業化社会になると“地縁”や“血縁”という意識は薄れ万一の時の生活は、システムとしての保険に頼る比重が増しています。
しかし、保険金の支払いに多くの日数を要しているようでは「何のための保険(保障)か!」と言うことになってしまいます。そこで県民共済では、万一の時「即座に役立つ共済」にするために、共済金の支払いは、従来は請求があった日の翌日払いとしていましたが、ついに、即日払い(請求のあった日に支払う)に改め実施することができました。なぜならば、共済事業とは加入者から前金で掛金の払込みを受け、約束した共済事故の発生に関し共済金を支払う事業ですから、請求をいただいたら即座にお支払いすることは当然すぎるほど当然なことで、自慢できることではないと考えます。
ただ、「共済金の即日払い」は、「掛金の100%還元」と共に県民共済の事業の夢でしたから、おかげさまで、また一歩夢に近付けることができました。ありがとうございました。